開かずの踏切

今や正月の風物詩ともなった「箱根駅伝」。
正式名称を「東京箱根間往復大学駅伝競走」と言うんですよね。
名前からして歴史を感じます。
1920年(大正9年)に端を発する箱根駅伝ですが、テレビでの完全中継は1987年(昭和62年)に日本テレビによって始められたそうです。
ボクもこの時からテレビで観ているファンのひとりです。
ちなみにこの年に国鉄が分割民営化され、新たにJRが発足しています。
その箱根駅伝、現在のテレビ放送技術によって、選手の表情や周辺の状況を鮮明な映像で届けてもらっているわけですが、駅伝のコースは山間部が多いこともあってか、当時は時々電波が途切れる現象があったように記憶しています。
もうひとつ、視聴者はともかくランナーにとってかわいそうだったのが、コース上で見られた踏切での足止めでした。
道路規制はできても鉄道まで規制することはできなかったわけですね。(現在は高架化や地下道により解消)
これがまた、アクシデントというか不運というか、ひとつのドラマでもありました。

長時間にわたって足止めを食らう、いわゆる「開かずの踏切」と呼ばれた箇所は都内でも多く見られましたね。
下北沢にあった踏切もまさしくそのものでした。
開いてもすぐに警報機が鳴って遮断機が下りる、ラッシュ時間はその繰り返しでしたね。
駅構内を階段で回ったほうが早いことが多かったです。
そんな時代も過ぎ去り、今や多くの駅で路線の地中化が進められました。
開かずの踏切問題は解消され、線路だった地上の土地も有効活用されるようになりました。
一方で、新しいものが誕生する中、時間とともに失われていったものもあるように感じます。
食堂から劇場へ

ボクが住んでいた頃の下北沢は、今ほど大きい店舗は多くありませんでした。
雑多でありながらも普通の生活圏として、個人が営む商店もそれなりに多くみられたんです。
当時はまだコンビニ弁当などはなく、電子レンジも高根の花、グルメの冷凍食品も乏しく、外食するにいくつかのお店を一定のサイクルでお世話になったものです。
そんな食事事情も街の様相も、時代とともに少しづつ変わっていきました。
家庭の味が楽しめた定食屋さん。
鯖みそや肉じゃがのおいしい、いわゆる何でもありのお店でしたが、惜しまれつつ閉店。
そして跡地にはなんと小劇場が!
テーブル6卓ほどの店が劇場かと、これは驚きでしたね。
下北沢は演劇の街であったからでしょうね。
それから銭湯。
アパート近くに三軒あったのですが、風呂付アパートが増えてきたせいでしょうか、一つが廃業することに。銭湯も休みの日があったはずですから複数使いは便利だったんですけどね。

そしてそうこうしているうちにもう一軒の銭湯も廃業してしまい、跡地には「餃子の王将」が下北沢初進出を果たします。
こちらのお店にはずいぶんお世話になりましたが、風呂に入っていた場所でメシを食うという、ちょっと変な錯覚を覚えたものです。
何度か飲みに行ったタレの匂いが染みついた渋めの焼き鳥屋さん、区画整理で新しく建ったビルのテナントとして移転。
飲んだ後の締めでお世話になったおにぎり屋さん、閉店。
カウンターで手作りおにぎりとみそ汁を注文で提供するスタイル、この頃からあったんです。
広島カープが優勝するとお祝いセールで激安になった広島のお好み焼き屋さん、閉店。
世にも珍しかった日本茶専門の喫茶店、閉店。
24時間買えたビールとタバコの自販機、コンビニの隆盛とともに撤去。
現在も営業中の繁盛店でも、お世話になった当時と変わってしまったことがあります。
例えば立ち食いソバの「富士そば」。
うれしいことに、今は椅子に座って食べられる店もありますよね。
それからちょっぴり残念なのが同じく立ち食いソバの「箱根そば」。
昔好んで食べてたコロッケそばは、カレーコロッケが何と2個(現在は1個)も乗ってました!
そして今も昔もメニュー豊富な牛めしの「松屋」。
レバー定食というのがあって、牛めしより僅か50円プラスの低価格で食べられる定食メニューに救われました。
復活を望みたいところですね。
懐かしさを込めて当時食したボクなりのB級グルメを思い出してみました。
生まれ変わる街

さてさて、街の変貌についてもう少し書いてみたいと思います。
下北沢は新宿からも渋谷からも電車で10分ほどの場所にあります。
劇場やライブハウス、古着屋などがあって、若者に特に人気の街ですよね。
ボクが住んでいた時代も、常に新しい文化が沸き起こる感じがありました。

本多劇場やスズナリといった劇場で演じられる芝居、ライブハウスでの演奏など、いかにも役者やミュージシャンに見える若い人種が街を歩いていたものです。
今もきっとそれは変わらないはずです。
ただ、ボクが知る下北沢という街の風情があまりにも変わってしまったのが少し寂しいんですね。
線路の地中化によって新しい街区が誕生しました。
知恵と感性を駆使して造られた素晴らしいエリアです。
時代に即した新しい文化が生まれる土壌としては申し分のないものです。
それはきっと間違いなく良いことなんだと思います。

ですが、当時の下北沢の商店街は、古いものと新しいものが共存することで、魅力を放っていたとボクは思っているんです。
そうした意味では、商店街のお米屋さんや蕎麦屋さんなどが消え去り、大手チェーン店が居並ぶ姿に変わってしまうことがとても残念だったんですね。
新宿や渋谷と一緒になってしまうじゃないかと。
駅もすっかり新しくなって、改札口もがらりと変わって、線路だった場所に新しい街ができている、これは昔の人間からすると故郷が消えてしまったような感じなわけです。
だけど、時代が変わるってそういうことなんですよね。
新しいものが生まれるってことは、古いものの存在が小さくなることなのかもしれません。
もっと昔の人からすると、日本という国自体が大変貌してますからね。
これからを生きる人たちが創造性に溢れていて幸せであること、それが一番なんだと思います。

