大家さんとの面接試験

荒川区の「南千住(みなみせんじゅ)」をあとに、ボクがたどり着いた新しい街は、小田急線沿線に位置する世田谷区の「下北沢(しもきたざわ)」でした。
小劇団が一世を風靡して演劇ブームを巻き起こしていた1980年代、下北沢は演劇の街とも呼ばれ、劇団や劇場が点在していました。
演劇に夢中だったボクは、若者が集い、新しいカルチャーを生み出す機運に満ち溢れたこの街に惹かれ、移り住むことを決めたのです。
そうと決めたものの、世田谷の一等地でもある場所では家賃相場も高く、思うようなアパートの物件が見つかりません。

そんな中で目にした激安物件が、これまたボクの人生に大きな影響を及ぼすことになったのです。
不動産屋を訪ねると開口一番、「このアパートはちょっと変わってます」。
一瞬ひるむボクに、「大家さんに気に入ってもらえることが入居の条件です」と。
なるほど話を聞くに、いわゆる普通のアパートとはちょっと勝手が違っていたんですね。
家賃相場を下回る物件に腹をくくったボクは、迷うことなく、大家さんとの面会(面接試験?)に挑むこととしたのです。
ティータイム時々メシ

下北沢の駅から10分ほど、決してきれいとは言えない建物は、大工さんだった大家のおじさん(当時60代後半)が昔に建てた手の込んだ造りのものでした。
4畳半一間にトイレと流しがついた部屋はボクには申し分なく、大家のおばさん(当時60代後半)も幸いにもボクを気に入ってくれて、晴れて入居させて頂くことになったのです。
アパートには違いないのですが、アットホーム過ぎる環境が人を選んでいたのでしょう。
大家さんご夫婦がくつろぐ居間に時々お呼ばれするのです。
アパートは大家さんご夫婦の住宅と貸し部屋を兼ねた造りになっていまして、居間が共有スペースのごとく”たまり場”みたいになっていたんですね。
「コーヒーでも飲みなさい」「食事は済んだの、食べてって」「洗濯機はみんなで使っていいからね」といった感じです。
遠慮のない大家さん夫婦の前に、住人たちが代わる代わる顔を出して、テレビを見たり話したりコーヒー飲んだりするわけです。
面会で選抜された面々ですから悪い人がいるはずもなく、至って平和で楽しいひとときでした。

絶品だったのが大家のおばさんが度々ご馳走してくれたカレーライスです。
市販のカレールーなのですが、チーズやケチャップなどでアレンジしたうえに、熟成させて冷凍保存しているという唯一無二の味で、いまだその味覚には出会ったことがありません。
いつも空腹だった当時のボクにとって、家庭の味でもある大盛りのカレーライスは心にしみる味でしたね。
そしてまた住人も個性的な人たちでした。役者やシナリオライター、その志願者、映画好き、バーテンダー、スチュワーデス(今はCA)、療術師、学生などなど。
アパートの住人同士が交流するなんて、今じゃもちろん、当時でさえ考えにくいですよね。
缶ビールの向こう側

学業そっちのけで次第次第に演劇に傾倒していったボクは、やがて本気で俳優を目指そうと決意します。
その頃、ムロさん(仮名)という人が隣の部屋に住んでいて、歳も近いことから仲良くしてくれていました。
ムロさんは芸能事務所所属の若手俳優で、連続ドラマにも端役で出演したりしていましたが、まだその道で食べていけるほどではありません。
ある日、何かの拍子に一緒にバイトしようという話になりました。

当時、アルバイト探しと言えば「日刊アルバイトニュース」という求人誌でした。
日刊、つまり新聞のように毎日刊行されていたんですから驚きですね。
ネット社会の現代とは違い、当時の情報収集は紙媒体が主流で、ほかにもイベント情報誌「ぴあ」には大変お世話になったものです。
そんなわけで二人でアルバイトニュースを買って一緒にページをめくることに。
ムロさんが言うに「テレビ局に近い場所だとドラマプロデューサーと知り合いになれるかもしれない」という提案で、赤坂のTBSに近い店をピックアップしました。
見つけたその店のバイトは、面白いことにクラブ(お酒を飲む夜のお店)のボーイ(おしぼりや氷をホステスさんに届ける係)をしながら、ショータイムには照明マンを兼ねるというものでした。
ボクら芸能を志す者にとっては何やら適任ではないかということで、二人の話はまとまります。
もちろん、バイト面接も二人で行って二人とも採用決定となります。

バイト先となったミニクラブは、当時のTBSのほぼ目の前で、地下の階段を降りた場所にありました。
小さいながらも華やかな雰囲気は夜の店を語るに充分で、少々緊張したのを思い出します。
客層も居酒屋とはもちろん別格で、筋の良さそうなオジサマ方がほとんでした。
そんなゴージャスなフロアで、ショータイムが近づくとホステスさんのうち7人ほどがソファーを離れてダンサー衣装に着替えるんです。
そしてやがてリズミカルな音楽とともに、華麗な姿でステージに躍り出るというわけです。
その時ボクらも出番となり、ムロさんはピンスポットを、そしてボクは調光卓を操るのでした。

残念なことに、テレビ業界からのドラマ出演へのオファーはありませんでしたが、異業種の大人の皆さんと出会えたことは貴重な経験でした。
きれいな衣装を身にまとったホステスさん、フロアを行き来するマネージャーさん、ボクらが待機する厨房で腕を振るうチーフシェフさん(最大の見せ場はフルーツの盛り合わせ)、時々現れる恰幅のいいオーナー社長さん。
人気のホステスさんが突然来なくなって銀座に引き抜かれたとか、初々しい新人のホステスさんとボクらで居酒屋に行ったりとか、厨房で包丁持っての喧嘩沙汰とか、人間模様をまるでドラマのように体験しましたね。

夜7時からのバイトが終わるのが深夜0時、そこから電車で帰宅するのですが、二人にとって極めつけの楽しみがありました。
まだコンビニのほぼない時代、下北沢に深夜の1時まで営業している酒屋さんがあったんです。
その店に滑り込んで缶ビールとチーズちくわをつまみに買ってアパートの部屋で語り合う、ムロさんとボクだけの何ともかけがえのない時、今思うと夢の時間だったと、懐かしさがこみ上げてきます。

