街の成り立ち

地方に住んでいるボクですので、日常的に東京の風景が見られるわけではありません。
それだけに、ふと東京を訪れた際に仰天してしまうことも度々あります。
かつての新宿南口界隈の変貌もそのひとつでした。
古くからある街の成り立ちがそうであるように、多くは戦後の焼け野原を再開発することから始まっています。
新宿の繁華街も例外ではなく、例えば歌舞伎町は歌舞伎の演舞場や芸能施設を集積させることで生まれましたし、新宿三丁目駅に近い「新宿ゴールデン街」や西口にある「思い出横丁」などは戦後の闇市が母体とされています。
高層ビルが立ち並ぶ西新宿のビジネス街も、淀橋浄水場の広大な跡地を中心に、付近の生活圏をも巻き込んで造られていますから、いずれも既存の街が再開発されたものと言えますよね。
ところが新宿南口にあっては、かつての国鉄の貨物操車場、つまり街ではなく線路だった鉄道跡地が開発された場所なんです。
闇の終焉へ

南口の開発は、1996年(平成8年)の「タカシマヤタイムズスクエア(新宿高島屋)」の開業にはじまり、JR東日本本社の移転(1997年)、小田急サザンタワー(1998年)、さらに日本最大のバスターミナルであるバスタ新宿(2016年)の開設へと続いていき、今では新宿の顔ともいえるほどの大きな進化を遂げました。
隣駅の代々木あたりまでも徒歩圏内ですから、人の流れが新たにできたことで、文字通り「街」としての機能が大きく膨らんだというわけですね。
そんな新しい街の誕生を実感するには充分なほど、以前の場所とのギャップを感じてしまったのは、その時代を知る世代ならばきっとボクだけではないはずです。
その南口、80年代に暮らしたボクにとってのイメージは、駅の裏側で寂れたダーティな所、もっと言えば戦後の風景の名残りすら留めたような、とにかく今とは雰囲気を全く異にする古めかしい場所、といった感じでした。
そんな、時代に取り残されたような場所であったがゆえに、よく言えば新宿の雑踏を逃れてほっと一息つける場所、心安らげる場所でもあったんですよね。
今は駅の周辺どこを見渡しても人がひしめき合っていて、華やかで隙のない、小ぎれいな街に統一されてしまいましたね。
こうしてみると、新宿という街は、ここ数十年で急速に進化したと言えるんじゃないでしょうか。
駅構内は複雑で、どこの改札を出れば目的にたどり着くのか迷ってしまいそうです。
まさに迷宮の状態は渋谷駅なんかも同じですよね。
今もなお、至る所で開発や拡充が進んでいますから、この先いったいどんな街が姿を現すのか想像もできないほどです。
そんな輝きとエネルギーに満ちた大都会が、ボクはとっても好きなんです。
好きでありつつも、やっぱり昔の新宿にはどこか人間臭さがちょっぴり残っていて、これもまた面白く、その時代も良かったなと思えてしまうんですよね。

