地上げ屋の時代

超高層ビルの波

1980年代後半に巻き起こったバブル景気は、世の中に様々な変化をもたらしました。

地価が異常高騰する現象が都内各地でみられたのも象徴的な出来事のひとつで、そうした中で台頭していたのが、いわゆる「地上げ屋」でした。

今や西新宿と言えば、東京都庁をはじめ超高層ビルがひしめくビジネス街のイメージですが、ボクの知る80年代当時は、まさに新たな街の構築を推し進めるべく大規模開発が進んでいるさなかで、高層ビルはいくつかありながらも、現在ほどの完成された街並みには至っていなかったんです。

西新宿は日本の超高層ビル街の始まりとも言われていますが、その場所は、かつての淀橋浄水場跡地を活用したものでした。

浄水池だった部分が掘り下げられた地形になっていることから、高低差をうまく利用して、今ある道路や歩道デッキの立体形状が生まれたんだそうですね。

新しい街区であることに加えて、こうした工夫が自ずとなされたことで、ビル街でありながらも圧迫感の少ない歩きやすい街並みになっているというわけです。

今では地下鉄はもちろんのこと、駅から地下街を歩いて雨風にさらされずに西新宿エリアに到達できますから、随分と便利になったものです。

北新宿かいわい

さて、その街が完成する以前のボクは劇団の研究生。舞台俳優への夢の実現を目指して、新宿駅の西口から毎日15分ほどの道のりを、雨の日も風の日も歩いて通っていました。
その道は地下鉄路線の真上にありながら、劇団の最寄り駅がまだ存在せず、店も会社も、そして人の数すらまばらだったんですね。

今ではその道すがら「西新宿駅」が増設されていまして、当時はまだ未完の街だったことを実感するとともに、あらためて今、賑やかな西新宿の発展を目にするところです。

ボクが通う劇団は、高層ビルの立ち並ぶエリアとは道を挟んだ反対側にありました。

この付近は当時、まだまだ古い面影の残る場所で、イメージする大都市新宿とはにわかに信じがたいほどの印象を抱いたものです。

懐かしさの残る木造の民家やモルタルアパート、小さいながらも付近の住人に愛されているであろう商店の数々、生活圏としてひとつの「町」を形成していたことは間違いありません。

ボクら劇団研究生も、近くの喫茶店やお弁当屋さんでお昼ご飯を調達するなど、顔見知りの常連として仲良くさせてもらっていました。

近くののどかな神社の境内で、セリフの読み合わせをしたことなどは懐かしい思い出です。
こじんまりしていたこの神社も、今や大きな鳥居と社を構える壮麗な姿へと変わっているから驚きです。

そんな長年にわたって庶民が暮らしていた町にも、開発の波は容赦なく押し寄せてきました。

新しい街づくりには立ち退きや道路の拡幅などが欠かせませんが、それはまた、地上げ屋が台頭する背景でもあったのでしょうね。

小さなコミュニティが工事の音とともに見る見るうちに消えた今、見違えるような整然とした街並みが、そこには広がっています。
人にも車にもやさしい道路ができて、高層ビルを見上げる街路樹も四季を美しく彩っています。

半面、ボクらの時代の美しい思い出が、見るも無残にまたひとつ、夢のかなたに消え去ってしまったというわけでした。

ヒロシゲリョウ
この記事を書いた人
ヒロシゲリョウ

1965年生まれの地方都市在住者。知らない土地をぶらり散策することと様々な顔を持つ東京が大好き。これまで文化芸術と観光分野の仕事に従事。還暦を機にライティングの分野に新天地を求める。味わい深い魅力を持つ万年筆と革製品に興味あり。お金があれば旅行好き。
略歴/劇団研究生、食えない舞台役者、演劇プロデューサー、映像ディレクター、イベントプロデューサー、総合旅行業務取扱管理者(保有資格)

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