文化人と新宿ゴールデン街

文化

古き良き場所

古き良き昔を彷彿とさせる場所が、東京にはいくつか残っています。

新宿西口の「思い出横丁」などもその一つで、ボクの時代は横丁名を表示する看板などもなく、誰しも、”しょんべん横丁”と呼ぶような、そんな風情の小道でした。

安さと気楽さが魅力でしたので、ラーメンや定食はもちろんのこと、ビールに焼き鳥にと、ちょくちょく通ったものです。
屋台が並ぶようなオープンな構造は、開放感みたいなものも手伝って、なかなか居心地の良い空間でしたね。

他にも、渋谷には”のんべい横丁”、吉祥寺には”ハモニカ横丁”など、昭和にタイムスリップできるようなノスタルジックな飲み屋街があるのは東京の魅力でもありますよね。

そうした場所は日本人だけが好むわけではないようで、今では外国人や観光客までもが溢れているというのもまた、当時と変わったところかと思います。

さて、横丁よりも規模を広げて、今も昔も一大歓楽街であり続ける場所があります。
その名も「新宿ゴールデン街」です。

他の横丁と同様に戦後の闇市の歴史にはじまり、今も2000坪ほどの敷地に200軒もの木造店舗が所狭しと連なっている飲み屋街です。
これが単なる飲み屋というわけでもないんです。

見てくれは飲み屋であることに違いないのですが、ここに集う人々が文化を発信し、歴史を担ってきたというか、そんな場所なんですね。

客層は作家から編集者、役者や映画監督、ジャーナリストなど、あらゆる文化人のメッカ、いわゆる文壇バーとして知られてきたのが「新宿ゴールデン街」です。

ボクも当時、名だたる著名人とその文化アングラ的な雰囲気に憧れて、一度だけ知人に連れて行ってもらったことがあります。

狭い、とにかく狭い。7人も入ればぎっちぎちの空間で、店主と客らとの熱い会話を耳にしていた覚えがあります。

文化の継承

戦後の混乱期を経て文化を紡いできたこの場所も、一時は激しい地上げに晒されることとなりました。

多くの土地が既存の大切なものを失った中にあって、新宿ゴールデン街を形成する店主らは一体となって反対活動を展開、不審火などの嫌がらせにも屈することなく、生活の糧、そして文化の灯を守り続けるために奮闘したといいます。

一時は立ち退きによる店舗閉鎖も多く見られ、消滅の危機にすら瀕したそうですが、やがて後世を担う若者たちの出店もあって、その歴史は今へと繋がれています。

文化は人と人との交流を起点に生まれ、やがて醸成されていくものですが、このゴールデン街を巣立っていった著名人も数多く実在していて、やはり特別な力を持った場所なんだと感じてしまうんですよね。

ボクらが暮らす今の日本、それは先人たちの働きが土台となっていることは言うまでもありません。

たとえ小さな生活圏であったとしても、日々の暮らしを守ることは容易ではありません。
そして、大きな文化事業を起こさないまでも、小さな文化を守り、紡いていくことはできます。

繋げていくことの大切さ、当たり前のことへのありがたさをかみしめたいものです。

状況劇場と紅テント

いつの時代の子供もそうであるように、ボクはお祭り好きで、特に縁日に並ぶ屋台や出し物を眺めるのが大好きでした。
大人になって、そんなワクワクする子供心を思い出させてもらったことがあります。

新宿ゴールデン街のほど近くにある「花園神社」でのことです。
そこで初めて目にしたのが、故・唐十郎さん率いる「状況劇場」のテント芝居です。

神社の境内に広げた大型の紅いテント(通称・紅テント)の中で演じられる、迫力と抒情に満ちた芝居は、ボクの心を鷲づかみにしたのです。

テントのシートを一枚かいくぐっただけの空間なのに、そこはもう異次元の世界で、すでにストーリーに舞い込んだかのような錯覚を覚えたものです。

演劇にもそれなりのカテゴリーが存在していまして、大きく分けて、歌舞伎を頂点に、新派、新劇、そして状況劇場のようなアングラ劇へと、多種多様に分類されているんですね。

もちろん劇団によって主義主張は異なるもので、時代とともに変化し続けているとも言えますね。

状況劇場(のちに”唐組”)は、時代の風雲児とも呼ばれた唐十郎さんが主宰していた劇団で、故・寺山修司さん率いる「天井桟敷」とともに、アングラ(アンダーグラウンド)演劇のはじまりとされています。

既成の概念を壊した見世物小屋的な独特の世界観で聴衆を魅了し、新しい文化を根付かせたことで注目を浴びた一方で、主張ありきの衝突や事件などといった出来事も度々あって、それもまた、演劇界では伝説となっています。

そんな彼らが拠点としていた場所がゴールデン街なわけですね。
いい意味でゴールデン街が熱かった時代というのは、生身の人間が人間らしく、衝突を恐れず真っ向から主義主張を貫いていた時代なんでしょうね。

今は風潮が随分と変わってしまいましたが、そうした気概はまだまだ健在だとボクは思っています。
デジタルツールを駆使しつつ、文化を創り上げる交流は盛んであり続けてほしい気持ちで一杯です。

ちょっと年齢を重ねた自分にできること、そしてやるべきことは何なのか。
情熱的だった若い頃をちょっと思い出してみました。

ヒロシゲリョウ
この記事を書いた人
ヒロシゲリョウ

1965年生まれの地方都市在住者。知らない土地をぶらり散策することと様々な顔を持つ東京が大好き。これまで文化芸術と観光分野の仕事に従事。還暦を機にライティングの分野に新天地を求める。味わい深い魅力を持つ万年筆と革製品に興味あり。お金があれば旅行好き。
略歴/劇団研究生、食えない舞台役者、演劇プロデューサー、映像ディレクター、イベントプロデューサー、総合旅行業務取扱管理者(保有資格)

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