大人への入口

インスタントコーヒーのCMって見なくなりました。
昔はいろいろやってたと思います。
ボクが初めてコーヒーを口にしたのは小学生の頃で、それはインスタントコーヒーでした。
コーヒーには粉末状のミルク、それに砂糖を入れて飲んだのが始まりでしたね。
当時のボクにとって、コーヒーは大人の飲み物というイメージがありましたから、まさに禁断のモノを口にしたって感じでした。
そしてその後しばらくは、受験勉強のお供としても活躍してもらったのがコーヒーというわけです。
そんなボクが喫茶店という存在を意識したのは高校生の頃だったと思います。
とは言え、健全な高校生が喫茶店に入るなんていうことは極めて稀でしたから、ボクの喫茶店デビューは東京に出てからということになります。
喫茶店との最初の出会いはどうにも記憶にありません。
気づいたころにはあちこち行ってたように思います。
多くは友人との待ち合わせや語らいでしたが、やがて一人で過ごす時間も増えました。
不思議なもので喫茶店に行く回数を重ねるごと、自分ながらに様になっていく姿を実感したものです。
それなりに喫茶店のしきたりに馴染んでいったということでしょうかね。
ボクは薄暗い中で流れてくる音楽とともにコーヒーを啜りながら、持ち込んだ文庫本を読むのがお気に入りでした。
喫茶店には喫茶店にしかない空気が漂っていましたし、それはそれはとても落ち着きと安らぎを与えてくれる優雅な時間でした。
こうした特別な時間は恐らく不変のものかと思いますが、残念ながら歳をとるにつれ、一人で過ごす喫茶店とはすっかり疎遠になってしまいましたね。
そして何といってもドリップで入れる喫茶店の本格コーヒーの香りそのものが好きでした。
ボクにとって、インスタントではないコーヒーと大人の時間を教えてくれたのは、紛れもなく喫茶店だったんです。
喫茶店が育む文化

喫茶店の変遷をたどると、時代とともにいろいろなジャンルが存在しています。
クラシック音楽を聞かせる名曲喫茶からジャズ喫茶、ロック喫茶、歌声喫茶にカラオケ喫茶、さらには漫画喫茶など、趣味趣向に合わせる形で世相を反映してきたんだと思います。
日本で最初の喫茶店は、1988年(明治21年)に台東区上野に開店した「可否茶館」とされています。
この店ではコーヒーを味わいながら知識吸収と文化交流の拠点となることを目指したということで、店内にはトランプやビリヤードの娯楽品をはじめ、新聞や書籍などが備えられていたとのことです。
文化や交流といったキーワードに、現代の喫茶店にも通じる要素を感じますね。
この「可否茶館」は僅か数年で閉店してしまうのですが、時が進んだ1911年(明治44年)に「カフェー・プランタン」が銀座に開店、次いで「カフェーパウリスタ」や「カフェーライオン」などがいずれも銀座に誕生します。
”パウリスタ”は今も変わらず銀座にありますから、現存する日本最古の喫茶店ということになります。
こうしたカフェーは、当時の文化人や芸術家たちが集った交流の場としても知られていて、文学作品の背景にも登場しているというから驚きです。
文化の醸成に喫茶店が一役買っているのは、きっと昔から変わらないことなのでしょう。
今だって、人と人との語らいや、時に瞑想、時に読書といった時間の過ごし方の中にアイデアが眠っていたりするわけで、その場となりうるのも喫茶店ですからね。
そんな不思議な力が宿っているのが喫茶店の魅力なんだと思います。
バイトの流儀

東京には独特の流儀を持った老舗の喫茶店が数多く存在しています。
中でもボクが度肝を抜かれたのは、渋谷にある「名曲喫茶ライオン」でした。
文字通りクラシックの名曲が鑑賞できる喫茶店なのですが、そのレトロで静粛な空間は、ボクをあたかも上品で高貴な人物へと昇華させてくれるかのような雰囲気を持っていたんです。
私語厳禁で一人の世界を楽しむには十分すぎるほどの環境で聴くクラシックの名曲は、どこか普段とは違う重厚なものに感じられて、別世界にいるかのような驚きでした。
そんな数ある喫茶店の魅力に吸い込まれた若かりし日のボクは、とある喫茶店でアルバイトを始めます。
最初はウエイターの仕事でした。
ウエイターの神髄は接客、究極のサービスを目指す仕事です。
今どきはロボットが注文を取りに来たり、料理やドリンクを提供したりする店も徐々に増えてきて、その様相もだいぶ変わりつつあります。
ですが接客サービスは、ロボットを上回る気配りに優れた人間の仕事であり続けるべきだとボクは思っています。
そんなことを偉そうに言いつつも、ボクがバイトしていた時代はそんな未来に程遠く、至ってそれなりに仕事をこなすのが常でした。
まずはいつの時代も挨拶が基本ですね。
見ず知らずのお客様に丁寧に接すること、当然ですがこれを一番に叩き込まれました。
それからお冷と一緒に、”紙”ではない”タオル地”のおしぼりの提供。
この、”紙”ではないおしぼりにひと時の安らぎを覚える、これって昭和世代の宿命みたいなものなんでしょうかね。
当時、愛煙家が喫茶店でタバコを吸うことは見慣れた普通の風景でした。
そうしたお客様の寛ぐ合間を見極めながら、灰皿交換は頻繁にやりましたね。
吸い殻が飛ばないように片手で灰皿を覆いつつ、もう一つの手で新しい灰皿を差し出す、こんな所作も今じゃもう見られませんよね。

ひと通りの経験を積んだボクは、やがて厨房の仕事に昇格します。
念願のコーヒーを淹れる仕事です。
それと軽食の調理も任されることになったんです。
どちらも未経験の仕事でしたが、意外にもスムーズに、そして楽しくマスターできました。
指導してくれた先輩に恵まれたことと、やはり若さゆえの呑み込みの早さだったんでしょうね。
自慢じゃありませんが提供したのは、和風スパゲッティ、明太子スパゲッティ、定番のミックスサンドからツナサンド、ホウレン草とベーコンのホットサンド、それにドリンク各種といったラインナップでした。
バイトしていたこの喫茶店、当時スパゲッティの店として隆盛を誇った人気店「ハシヤ」のすぐ目の前にあったんです。
そんなこともあって、ハシヤに負けじとスパゲッティには力を入れていましたし、混雑でハシヤを溢れたお客様の舌をそれなりに満たしてもいたんですよ。
ボクはまさに仕込みから調理へと、この店のバイトで料理の手ほどきを受けたと言っても過言じゃありません。
それから紅茶、うんちくのないボクが紅茶の種類を僅かながら知ったのもこの店でした。
アールグレイ、ダージリン、オレンジペコ、といった感じですね。
レモンティにはアールグレイ、ミルクティにはダージリン、そしてアイスティにはオレンジペコ、といった使い分けをしていたかと思います。
ココアも隠れた人気メニューでした。
大衆的な喫茶店とは一線を画し、素材の品質には拘っていましたから、ココアはオランダのバンホーテンを採用した本格的なものでした。
ちなみにスパゲッティはイタリアのバリラでしたね。
コーヒーについては言うまでもなく、心地良い香りとともにじっくりドリップすることが幸せな時間でした。
豆の状態の見極めやお湯の温度など、バイトながらも様々なことを教わったと今頃になって気づくこともあります。
夏場のアイスコーヒーの仕込みなど、その独特な香りと情景は夏が来ると今でも思い出しますね。
喫茶店とカフェ

喫茶店とカフェ、似て非なるものとはいえ、最近では同義として扱われることが多いように感じます。
強いて言えばイメージによる違いでしょうか。
喫茶店はちょっとレトロで、カフェはお洒落で現代風といった感じが漂います。
ドトールコーヒーが登場したのは1980年代ですが、ボクも当時よく行きましたね。
安価で気軽に入れる雰囲気はカフェのイメージだったかもしれません。
時代とともにタリーズやスタバなども出来て、いわゆるレトロな喫茶店と使い分けする選択肢が増えたと思います。
他業種の中でカフェを併設する店舗もできました。
書店や家電量販店、アパレル業界にも増えてきているようです。
ハンバーガーチェーン店やコンビニでも本格的なコーヒーが味わえますから、これまたどれが本業なのかわからなくなりそうです。
人の好みは千差万別ですから、カフェの多様化は大いにありなんでしょうね。
一方の喫茶店をこよなく愛する人たちも健在で、まさに共存共栄の時代なんだと思います。
たかがコーヒーされどコーヒー、喫茶店もまたしかり。
時代を映す鏡でもあるかのような喫茶店のお話でした。
