東京人、はじまる

暮らし

あこがれの舞台へ

1984年(昭和59年)の春。
大学入学とともにボクの東京での一人暮らしが始まりました。
今から40年以上も前の話になります。

最初に住んだ街は、荒川区の「南千住(みなみせんじゅ)」という、下町情緒がたっぷり残るエリアでした。

今や「南千住」といえば再開発で大きく変わり、当時はなかった「つくばエクスプレス」をはじめ、隅田川沿いには高層マンションが立ち並び、商業施設も充実した人気の街となっていますね。

当時を思い出すと、まさに隔世の感です。

ボクがこの街を選んだのは、通学の利便に加えて、以前から東京の下町に憧れを抱いていたからなんです。

それは、上京するちょっと前にテレビで放送されていたドラマの影響でした。

当時、NHKでは夜の9時40分から20分間のドラマ枠があったんです。
そこで放送されていたのが、NHK銀河テレビ小説「陽だまり横丁のラブソング」という、太川陽介さん主演のドラマです。

主人公の若者を中心に繰り広げられる人情いっぱいのストーリーで、舞台となった商店街の温かさや人と人とのふれ合いなど、とっても惹かれるものがありました。

地方都市でもスーパーマーケットの類が主流となり、小売店がどんどん姿を消していく時代でしたから、東京の下町には、まだこうした人情が残っている場所があるんだと親しみが湧いたものです。

ザ・下町

その下町での暮らしを叶えるべく、駅前の商店街にほど近い場所にアパートを借りました。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」に出てくるような世界が、まだ残っていたんですね。

その頃の南千住は、今ほど驚くような家賃相場ではなく、学生の一人暮らしに見合った物件もそこそこありまして、駅近で商店の多い立地は、なかなかの好条件だったと思います。

昔の商店街って、今でいうショッピングセンターみたいなものですよね。
アパートの周りには八百屋、魚屋、肉屋、惣菜屋、定食屋、さらに風呂屋、電気屋、金物屋、文房具屋と、いろいろな店が軒を連ねていて賑やかでした。
ただ、時代的にはまだ、コンビニという存在はありませんでしたね。

住まう人々にも個性があったように思います。
いわゆる山の手の人とはどこかちょっと違って見えるような。
地方から出てきたボクでも割と馴染みやすかった気がします。

そんな街でボクの東京暮らしは始まったのです。

ある日の出来事

時は昭和から平成、そして令和へと変わり、今は便利さが増す一方で、いわゆる商店街の存在も薄れてしまいましたね。
あんなに活気があった南千住の商店街も当時とは雲泥の差、悲しいかな今やシャッター通りです。

しょっちゅう飛び交っていた威勢の良いお店の呼び声も、人々の会話も、姿かたち全て消えてしまいました。

みんな、どこに行ってしまったんでしょうね、ホントに不思議です。
時代の流れとは言え、寂しい限りです。

さてさて、商店街が華やいでいた頃、ボクが洗礼を受けた出来事があります。

当時の南千住は、今ほどクリーンで洗練されたイメージではなく、ザ・下町を地で行くような地元庶民の街でした。

そしてもうひとつ、近くに日雇い労働者の働く「山谷(さんや)」と呼ばれる地区がありました。
治安の良くない面も少々残っていた時代なんですね。

南千住界隈にはリーズナブルな小さな宿が今も点在しているんですが、どうやら当時の日雇い労働者達が使っていた簡易宿泊所(≒安宿)の名残でもあるようです。

観光で人気の浅草も近いことから、今では日本を旅行する外国人バックパッカー達に重宝がられているようで、時代も変わるもんだなあと感慨深くなります。

そんな場所柄、商店街の一角で昼間から酔っ払って寝転んでいる人をよく見かけたものです。何やらわめいているんですね。
まだ19歳だったボクは、何かされやしないかとビビりながらそそくさと横を通り過ぎてました。

ある日のこと、いつも行く銭湯(せんとう)で、そのビビリがピークに達したのです。

風呂なしアパートはその頃普通でしたから、まあ当然のごとく毎日が銭湯通いです。
そして下町ということもあって、銭湯は連日にぎわいを見せる社交場でもあり、近所の住人を知る場所でもありました。

快適だった銭湯暮らしにも慣れてきたある日、ボクは初めてのモノを目にするのです。

なんと、全裸に刻まれた「刺青(いれずみ)」です!
今でいうファッション感覚のタトゥとは明らかに異なる雰囲気を醸す、迫力満点のホンモノです!

それはそれは初めて見る、見事なソレでした。
一瞬目を奪われたものの、次の瞬間見てはいけないものを見てしまったと、思わず目をそらしてしまいました。

カラン(洗い場の蛇口)の並ぶひと隅に燦然と輝く、足から背中、そして首筋へと流れるように続く龍の絵柄は、今も鮮烈な記憶として残っています。

今の時代、ほとんどの入浴施設が刺青禁止となってますが、名実ともに銭湯が裸の付き合いのできる平等な場であったという、まさに象徴的な時代のお話でした。

いざ、山の手へ

東京での一人暮らしにも慣れ、地方訛りが抜け、大学生活を満喫しつつある夏、ボクは芝居に明け暮れていました。

新宿や渋谷に芝居を見に行くにつれ、もっと都会に住みたい、もっとシティボーイになりたい、という思いが日に日に募っていたのです。

銭湯での刺青や街角の酔っ払いの件もあり、少々下町情緒にも飽きが来ていたのでしょう。
一度思い込むと居ても立ってもいられなくなる性格は、歳を取った今でも変わりません。

19歳のボクは引っ越しを決意し、赤帽さんの軽トラックに荷物を積み込み、下町に別れを告げ、山の手を目指すこととなったのです。

ヒロシゲリョウ
この記事を書いた人
ヒロシゲリョウ

1965年生まれの地方都市在住者。知らない土地をぶらり散策することと様々な顔を持つ東京が大好き。これまで文化芸術と観光分野の仕事に従事。還暦を機にライティングの分野に新天地を求める。味わい深い魅力を持つ万年筆と革製品に興味あり。お金があれば旅行好き。
略歴/劇団研究生、食えない舞台役者、演劇プロデューサー、映像ディレクター、イベントプロデューサー、総合旅行業務取扱管理者(保有資格)

ヒロシゲリョウをフォローする
暮らし
シェアする
ヒロシゲリョウをフォローする
タイトルとURLをコピーしました